元和8年 (西暦1622年)は今から401年前。干支は戌(いぬ)年です。
- 1622年のできごと -
- 1月1日 - グレゴリオ暦において、1月1日が3月25日に代わる年の最初の日として宣言される[要出典]。
- 3月22日 - ジェームズタウンの虐殺:アルゴンキアン族の原住民が、バージニア植民地ジェームズタウンの郊外でイギリス系移住者347人を殺し、ヘンリクス集落を燃やす。
- 5月20日 - オスマントルコの皇帝オスマン2世が近衛隊を改革することを計画しているという噂を聞いた近衛隊員が反逆しオスマン2世を絞殺する。
- 10月27日 - ユグノー教徒謀反:ジーン・グイトン率いるラ・ロシェルのユグノー教徒群団とギーズ公チャールズ率いる王党派の群団の間でサン・マルタン=デ=レの海戦が起きる。
- ジョチェム・スワルテンホント旗下のオランダの船が、車隊を護衛するさなか、ジブラルタルの近くでスペインの支隊を退ける。
- パリの「バラ十字会の教義熱狂」[1]。
- 長崎でキリシタン55名が処刑される(元和の大殉教)。
- 宇都宮城釣天井事件。
三十年戦争
- 4月27日 - マンスフェルトとバーデン=ズルラチ辺境伯ゲオルク・フリードリヒの旗下のプロテスタントの軍勢とティリーの旗下の帝国軍の間でミンゴルシェイムのこぜりあいが起きる。
- 5月6日 - ブランズウィック小公クリスチャンのプロテスタントの軍勢の参戦を待つ間、マンスフェルトとバーデン=ズルラチ辺境伯ゲオルク・フリードリヒが、ティリーの帝国軍への陽動として軍勢を分割。
- 6月20日 - 三十年戦争:ブランズウィック小公クリスチャンがマンスフェルトと合流するために軍隊を動かしマイン川を横切る事を、ティリー旗下の帝国軍が防止しようと試みる。
- 7月13日 - マンスフェルトがハイデルベルクへの包囲攻撃を崩すことに失敗したことを受け、パラタイン選帝侯フレデリック5世がマンスフェルトとの契約をキャンセルし、軍隊を解散する。
- 8月29日 - オランダのバーゲン=オプ=ズーム包囲戦を崩しに行く途上で、マンスフェルトとブランズウィック公クリスチャンの軍隊が、ゴンサロ・デ・コルドバ率いるスペインの軍隊により道を塞がれる。
- 9月19日 - 選帝侯領の首都ハイデルベルクが、3ヶ月の包囲攻撃の末にティリーの帝国軍に奪われる。