天正10年 (西暦1582年)は今から440年前。干支は午(うま)年です。
- 1582年のできごと -
- 2月24日 - 教皇グレゴリウス13世が勅書「インテル・グラウィッシマス(最も重大なる懸念の内に)」を出した。これは、グレゴリオ暦の導入を依頼、勧告もしくは推奨するものだった[1]。
- 10月4日 - 歴史学においてはこの日までをユリウス暦で表記することが多く、Wikipedia:表記ガイドでもそれに従っている。
- 10月15日 - ユリウス暦に代わってグレゴリオ暦の使用が開始される。歴史学においてもこの日以降はグレゴリオ暦で表記することが多く、Wikipedia:表記ガイドでもそれに従っている。
日本
※10月4日(天正10年9月18日)まではユリウス暦による日付
- 1月24日(天正10年1月1日) - 安土城に諸将ら多数が参賀、人の重みで石垣が崩れ死者が出る。織田信長自ら見物料を取り、本丸・御幸(みゆき)の間などを一般公開。
- 2月13日(天正10年1月21日) - 宇喜多秀家が宇喜多家の家督を相続する。
- 2月20日(天正10年1月28日) - 天正遣欧少年使節が長崎を出航。
- 2月25日(天正10年2月3日) - 織田信長、武田攻めの陣触れ。
- 3月24日(天正10年3月1日) - 佐久間盛政らが加賀一向一揆最後の拠点能美郡の山内庄を制圧。
- 4月3日(天正10年3月11日) - 武田勝頼らが自害し、武田家が滅亡(天目山の戦い)
- 6月21日(天正10年6月2日) - 本能寺の変
- 7月2日(天正10年6月13日) - 山崎の戦い
- 7月4日(天正10年6月15日) - 安土城炎上。
- 7月5日 - 8日(天正10年6月16日 - 19日)- 神流川の戦い
- 7月16日(天正10年6月27日)- 清洲会議。
- 7月27日(天正10年7月8日) - 羽柴秀吉が山城国で指出検地に着手する。
- 9月14日(天正10年8月28日) - 長宗我部元親が十河存保を破る(中富川の戦い)。
- 9月27日(天正10年9月11日) - 柴田勝家がお市の方に織田信長の百日忌を京都の妙心寺で執行させる。
- 11月10日(天正10年10月15日) - 秀吉が大徳寺で織田信長の葬儀を執行。